こんにちは
松尾です

わたしはvivodailystandでワインチームとして日々ワインを選定しています。
現在社歴も4年をすぎ、毎日どこらかしらの店にお邪魔して立っています。

だいぶお客様にも認知されてきたかなと思いますが、まだお会いしてないまた知らないという方はお会いした際には是非、お気軽に話しかけて頂ければと思います。

本日は
おおげさなタイトルですが”日本のワイン(ブドウ)の歴史”という観点から「日本人のワインに対する見方の変化」をお話したいと思います。

まず、世界のワインの歴史は紀元前8000年ごろといわれ、このころ、コーカサス山脈(現在のジョージア近辺)ですでにワインが飲まれていたと考えられています。
(東欧、歴史深い産地です、vivoでも人気商品東欧のものもちらほらあります、土着品種やこの歴史背景はソムリエ試験の最近のトレンドですね、)

ただアルコールを摂取するための液体ではなく、ときには薬として、ときには神聖で宗教普及のアイテムとして歴史の様々な場面や地域で普及してきたこのワイン、

日本においても、歴史は古く 最近だと縄文時代にさかのぼるという説もあります。
※長野県の縄文遺跡からヤマブドウの種子が付いた土器が発掘されたことなどを根拠に、縄文人が果実酒を造っていたという説、賛否両論な見解がありますが、古くからブドウとの付き合いがここ日本にもあったのです、

他国のワインの普及には、その地域の水事情も大きく関係してきます。
※健全な飲料水が入手困難な地域も世界には沢山あり、そんな中で飲料の代わりとなるこのワインはアルコールや酸が腐敗に対する重要なファクターを持ち合わせた飲み物という事も大きく関係しています

日本では
奈良時代の歴史書や平安~室町に至るまで、ブドウはもっぱら生食用であったとされます。
日本には、米などの穀物から造る伝統的な酒が当時すでに存在し、また飲み水が豊富な環境であったため、果物を発酵させて酒を造る必要がほとんどなかったのです。

そのため、酸を擁するワインは1877年民間では最初のワイン醸造所、大日本山梨葡萄酒会社(現メルシャンの前身)高野正誠(まさなり)と土屋龍憲(りゅうけん)をフランスに派遣、ブドウ栽培、ワイン醸造を学び、帰国後ワイン造りをスタートさせたが、酸味になれない当時の人々の味覚になじめず、1886年に当会社は解散という文明開化の波の陰に水豊かな文化への適用性の難しさを味わいました。

しかし以降 宮崎光太郎の本格的なワイン造りの再考や浅草の神谷バーの前身となる神谷傳兵衛(蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)甘味ブドウ酒を開発、新しい風味の甘い酒)
などの努力の末、ワインを飲む習慣のない当時の日本人にかえって受け入れられるようになりました。


甘味に対する抵抗感の少なさは日本酒や調味料に砂糖を使用する和食文化から感じられ、そして時代と共に徐々に緩和され、現在に至ります


甘味と酸味という味わいの共存ができる現代、各国のいろんなワインを飲んでその地域や歴史的背景に想い
をよせてみるのもまた楽しいかと思います。

是非店頭でお声かけ下さい。

それでは